気象トピックス・コラム
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かつての天気予報の要

 
きょう2月23日は富士山の日です。オンラインを通じて、全国一斉に富士山の見え具合をネット上で報告し合うなど、富士山をテーマとした活動を活発に行っているパソコン通信上の「山の展望と地図のフォーラム」が制定しました。日付が2と23で富士山(ふじさん)と読む語呂合わせと、この時期は富士山がよく望めることからのようです。
 
昔から富士山周辺に住む人々は富士山にかかる雲を見て天気予報をしており、「山に笠がかかると雨が降る」という言い伝えがあり、雲や風、空気の湿り具合などを感じ取り天気を予報することを観天望気と言います。山の山頂にかかる笠雲は、湿った空気が山に吹きつけ、山の斜面を上昇するときに生まれます。笠雲ができる時には、低気圧や前線が接近しているので、雨の降る確率が高いのです。また、山の近くの上空に円盤のような雲が浮かぶこともあります。これは、山頂を越えた湿った気流が、波のように上昇と下降を繰り返した際に、上昇した部分にできたもので、つるし雲と呼ばれています。つるし雲が現れた時も天気の崩れる確率が高く、実際に気象台などでは山に雲がかかる様子を天気予報の際に役立てているようです。
 
富士山は標高が高いため、気象条件は過酷です。富士山は独立峰(周りに山がない単独の山)のため、周りの山などで風が遮られることなく、強風が吹きつけます。1966年9月25日には秒速91.0メートルの国内の最大瞬間風速を記録しました。
 
ところで、かつてはこの標高が高く過酷な気象条件の富士山に気象レーダーが設置されていたのをご存知でしょうか。それは、1964年に運用が開始された富士山レーダーと呼ばれていたものです。
この富士山レーダー建設のきっかけとなったのは、1959年9月の伊勢湾台風です。伊勢湾台風は日本列島に甚大な被害をもたらし、未曾有の被害犠牲者を出しました。当時の気象庁は被害を最小限にするために、何としてでも台風の動きをできるだけ早くつかみ、台風観測を強化しなければなりませんでした。そのためには、最も遠くまで電波を届けることのできる日本で一番高い富士山頂に何としてでもレーダーを設置しなければなりませんでした。
このレーダーの建設には多くの困難がありました。冬は厳しい寒さで暴風などにさらされるので、工事は夏の間だけに限られました。しかし、夏でも山頂では最低気温は0℃近くまで下がり、最高気温は10℃に届かず真冬並みの低温になり、独立峰であることから風も強いのです。このように、一年を通して吹く強風などの過酷な条件に耐えられるように設置しなければならず、困難を克服して完成したレーダーは、富士山頂という高所に置かれたことで最大で周囲800kmまで観測することが可能になり、台風の観測などに大きな威力を発揮しました。その後も猛烈で大きな台風はやってきましたが、富士山頂レーダーは台風の見張り役の要として被害を最小限にとどめることに貢献し、1999年、その責務を気象衛星ひまわりに引き継ぎ、35年間の任務を終えました。富士山レーダーは解体された後、2001年9月に富士吉田市に移設され、現在は富士山レーダードーム館で公開されています。
 
きょうは富士山の日を記念して、かつての天気予報の要として活躍してくれていた富士山レーダーに感謝したいですね。