雑節
日本には、春と秋に「彼岸」という期間があり、お墓参りをしてご先祖様をしのぶ習慣があります。
そして、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、春の彼岸が過ぎると寒さが和らぎ暖かくなってきたと感じ、秋の彼岸を過ぎると気温がぐっと下がり涼しくなってきたと感じます。ともに体感的な心地よさを感じる時期でもあるのです。
ところが「春の彼岸」の時期にあたる3月下旬の東京の最高気温の平年は、15.4℃であるのに対して、「秋の彼岸」の時期での9月下旬は25.1℃です。同じように心地よく感じる時期に入っているのにもかかわらず、春と秋の彼岸の頃の気温の差はおよそ10度もあります。暑さに向かうときと寒さに向かうときの体感は、こんなにも大きく違うものなのです。
なぜ日本には、「お彼岸」があるのでしょうか。ここで、「彼岸」の起源についてお話しします。「彼岸」とは、仏教の言葉です。生と死の境目にあるといわれている三途の川を挟んで、向こう側を「彼岸」といい、向かい側を「此岸(しがん)」といいます。「此岸」とは、私たちが生きている現実の世界で、「彼岸」は、ご先祖様のいる死後の世界です。
仏教の世界では、死後の世界の彼岸は西に、私たちの現実世界の此岸は東にあるとされています。太陽が真東から昇り、真西に沈む春分の日と秋分の日は、此岸と彼岸が最も近くなるといわれており、ご先祖様により近い距離で供養ができると考えられていました。「お彼岸」は、死後の世界の彼岸から私たちの世界である此岸に帰ってくるご先祖様をお迎えする「お盆」とは意味合いが異なります。
「お彼岸」は、太陽信仰と結びついているといわれています。太陽信仰は、日本だけでなく世界各地で行われていますが、農耕民族である日本において、春分と秋分は、太陽が真東からでて真西に沈む非常に大切な節目です。このため、春分の日は農作物の豊作を願い、秋分の日は収穫に感謝するという風習が古くからあったといわれています。
「お彼岸」は、仏教に由来する行事ではありますが、この昔ながらの太陽信仰にも関係があり、「日の願い」から「日願(ひがん)」というようになったと推定する一説もあります。「お彼岸」は日本独特の行事で、インドなどの他の仏教国にはないそうです。
春のお彼岸には「ぼたもち」を、秋のお彼岸には「おはぎ」をお供えする風習があります。私もこれらの時期になると、おはぎやほたもちをお供えして、ご先祖様をしのんでいます。